1、2、
1、2018年8月11日の右上臼歯部の写真、60代女性の患者様です。
初診は2017年10月31日でした。2、3年前から右上奥歯のかみ合わせが気になり、咬むと痛むので前医で何度も調整したり、ブリッジを作りかえたりしたそうですが良くならず、総合病院の歯科にも診てもらったが痛みが止まらないということで、紹介により当医院を受診されました。初診時は歯周ポケット(歯と歯茎の間にある隙間で1~3mmが正常範囲で、その歯周ポケットには、食事をした際の食べカスや歯周病などの原因になる細菌が入ってしまうことがあり、あまり深くなると抜歯になることがある)は特に深くありませんでした。歯根破折(歯の根が割れたり、ヒビが入ること)を疑いましたが、レントゲンでも確定診断が出来ませんでしたので、経過を見ながら歯周治療と他部位の治療をおこなっていきました。ある時、歯周ポケットが突然深くなり、レントゲンでも骨吸収像が確認されましたので、CT撮影をおこない、保存不可能であったために抜歯しました。
2、2020年6月13日、治療後の写真です。
右上567欠損部にインプラントをおこないました。インプラントをおこなうために4回の手術が必要でしたが、治療後の歯肉に手術痕がないことや右上34部の歯肉の位置や形態に全く変化がないことに注目してください。右上4は患者様が銀歯は嫌なのでセラミックにしたいという要望があり、セラミッククラウンに再治療しました。右上7のインプラントのクラウンはセラミックだと割れやすいので、金合金を使用しました。この金属の部分は日常生活ではほとんど見えませんので、一番奥の大臼歯にはこのような方法を当院ではお勧めしています。右上567のインプラント周囲の歯肉(本来はインプラント周囲粘膜と言いますが、患者様には分かりにくいと思いますので、今回は歯肉と表現します)はスキャロップ(貝殻のような形をした歯肉の高低差)な形態を作りました。インプラントは治療後に歯が長くなるとともに歯肉が平坦になりやすく、歯間鼓形空隙(しかんこけいくうげき・・・歯肉付近の歯と歯の間にある空隙。正常な歯肉にはわずかに存在する空隙)が大きくなる傾向があります。歯間鼓形空隙があまり大きいと食べかすがつまったり、清掃性が悪く、発音や審美性にも影響するので注意が必要です。元あった痛みは無くなり、機能的で審美的な口腔となりました。一見単純な治療と思われるかもしれませんが、よく噛めて美しく、かつ長持ちできる治療は、ただ単にインプラントを埋入するだけで完結することはまずありません。上顎臼歯部は上顎洞(頭蓋骨の上顎部分にある空洞で、鼻腔と通じています)の大きさなどの解剖学的制約も多々あります。包括的な歯科治療を駆使することにより、様々な病態や患者様固有の解剖学的制約を改善しなければ達成されない場合がほとんどです。確かな診断力と多くの技術が求められます。今回は複雑な治療工程をお話しいたします。
3、
3、2018年8月21日のCTです。
黄色の矢印で示しているのが右上7周囲の骨が吸収(無くなっている)している像です。このまま抜歯をして自然治癒が起これば、歯肉はこの状態の骨の形態通りに陥没して骨が再生するスペースが無くなり、インプラントを埋入することが非常に困難となります。
4、5、
4、5、2018年10月3日、右上7を抜歯しました。
4の写真の赤い矢印で示すところに破折線が認められます。歯が割れていたことが骨吸収の原因です。ここまで歯牙破折の範囲が大きい場合には歯を救う方法はなく、抜歯せざるをえません。3のCTレントゲンでも確認していますが、抜歯窩の頬側と奥側(後側)には骨壁がありません。歯肉が陥没して骨が再生するスペースが無くならないようにソケットプリザベーション(骨の吸収を防止するために、抜歯の時点で人工骨などを抜歯窩に入れて骨を再生させる方法)をおこなわなければなりません。
6、7、
6、7、歯槽骨を効率的に再生するために、多血小板血漿療法(自分の血液から、特殊な技術を用いて血液中の血小板が多く含まれる部分のみを抽出して作られる。この多血小板血漿には、成長因子が豊富に含まれまれるので、これを自分の身体の傷んだ部分に入れると、その部分の組織の修復が促進され、”早期治癒”や”疼痛の軽減”効果をもたらす。ただし、自院で多血小板血漿を作製するには、厚生省の認可が必要である)をおこないました。
採血して血液を専用の遠心分離器にかけ、PRGF(最も先進的な自己由来の多血小板血漿であり、組織の治癒と再生を促進 するために患者の自己血から未活性増殖因子を多く含んだ血漿とフィブリンを同時に獲得し、且つ増殖因子の活性化を術者自身がコントロールできる画期的なTechnology。とりわけ口腔や顎顔面の手術、口腔インプラント、整形外科、潰瘍治療、スポーツ医療、再生医学を含む非常に多数の医療と科学の現場で活用されている)と骨補填材を混ぜます。
8、9、10、
8、9、10、PRGFと骨補填材(自家骨以外で骨再生に用いられる材料を指し、他家骨、異種骨、人工骨の3つに分類される。他家骨は、ヒト由来骨を凍結・乾燥等の処理を施したものであり、骨梁構造が同じで比較的骨吸収速度が早い。異種骨は、ウシ由来骨に代表されるように、ヒト以外の動物由来骨を焼結処理したものや、サンゴや海藻といった植物由来のものも含まれる。吸収速度や内部構造はそれぞれ異なるが、なかでもウシ由来骨は骨吸収速度が遅いといわれている。人工骨は、β-TCP(β-tricalcium phosphate)やハイドロキシアパタイト(hydoroxyapatit)等のことを指す。前者は骨吸収が早く、後者は非吸収性である。いずれの使用に際しても、患者への説明と使用許可が必要である。)を抜歯窩に挿入して、骨の再生の場を作ります。そのままにすると開いた傷口から細菌感染しますので、オープンバリアメンブレンテクニック(メンブレン(歯槽骨造成に使用する膜のこと)が外に露出しても感染が少ない細胞遮断膜(d-PTFE膜)を用いて傷口を覆う最新テクニック)で抜歯窩の傷口を遮断しました。このような工程でソケットプリザベーションをおこないました。
11、
11、2019年3月6日のCTです。
黄色の矢印で示しているのが5ヶ月前にソケットプリザベーションをおこなった右上7部です。骨様のものが白く写っているのが確認できます。真っ白に写っている3本のパイプの位置にインプラントをおこなう予定です。緑色の矢印で示す右上6の部分の上顎洞(頭蓋骨の上顎部分にある空洞で、鼻腔と通じています)が大きく広がっており、内部にはインプラントを埋入できるだけの骨が全くありません。上顎の奥歯にインプラントをおこなうにあたり、解剖学的に注意しなければならないことは、上顎洞が大きく、インプラントに必要な顎骨が十分でなく、そのままでは十分な長さのインプラントが埋入できない場合がままあります。インプラントをおこなうためには上顎洞底挙上術(上顎の奥歯には上顎洞という空洞が存在します、インプラントを行う際に骨が十分でない場合に上顎洞底部に骨を造成する手術)をおこなわなければなりませんが、非常に繊細で難しい骨造成法であり、技術と経験が求められます。赤色で示すところに上顎洞粘膜の肥厚があり、このよう場合には特に注意が必要です。
12、
12、2019年3月6日の右上5部のCTです。
黄色矢印で示すところがインプラント埋入予定部位となりますが、歯槽骨の幅が狭くインプラントが入りません。そのためにGBR(骨誘導再生・・・手術で骨を作ること)をおこない骨幅を広げなければなりません。今回は上顎洞底挙上術と同時にGBRをおこないました。
以下にオペ中の写真があります。閲覧される場合にはポップアップ表示をされてください。
13、14、
13、2019年3月12日、右上6部の上顎洞底挙上術(上顎の奥歯には上顎洞という空洞が存在します、インプラントを行う際に骨が十分でない場合に上顎洞底部に骨を造成する手術で、歯が生えていた部分の側面の歯ぐきからアプローチするもの)をおこなっている最中です。
頬側の歯肉歯槽粘膜を大きく開き、頬側上顎骨の側方から上顎洞に達するまで骨削除をおこない孔を開け、そこから上顎洞粘膜を押し上げて上顎洞底と上顎洞粘膜の間にゲル状のPRGFで固めた骨補填材を入れて、骨再生する場を確保します。今回はインプラントを支える骨が全くないので、骨再生を待ち、4ヶ月後にインプラント1次手術(インプラントを植える手術、インプラントを植えたあとは、歯肉を元にもどして、インプラントが骨と接合するのを3~6ヶ月待つ)をすることとしました。
14、同時に右上5部は、骨幅を増大するためにPRGFで固めた骨補填材を用いてGBR(骨誘導再生・・・手術で骨を作ること)をおこないました。
以下にオペ中の写真があります。閲覧される場合にはポップアップ表示をされてください。
15、
15、2019年3月12日に上顎洞底挙上術とGBRをおこない、約4ヶ月後の2019年7月23日にインプラント1次手術をおこない3本のインプラントを埋入しました。十分な骨量と硬さを持った骨再生が確認されました。
16、17、18、
16、インプラント1次手術直後右上5部のCTです。
12、のCTでは幅が細くインプラント埋入が難しかった場所ですがGBRにより骨幅が広がっていることが確認されます。(黄色矢印)
17、インプラント1次手術直後右上6部のCTです。
サイナスリフトにより、上顎洞内に骨再生が認められます。(黄色矢印)
18、同様に、インプラント1次手術直後右上7部のCTです。
サイナスリフトにより、上顎洞内に骨再生が認められます。(黄色矢印)
19、20、
19、20、2020年4月2日、インプラント2次手術(インプラントに土台を立てて粘膜から貫通させる手術)直前の写真です。
21、
21、20の写真に線を引きました。
赤い線の下側のより白いピンク色の部分が付着歯肉(歯と歯槽骨に付着している部分の硬くて厚い歯茎のこと。頬や唇をひっぱっても動かない可動性のない部分。抵抗力がありブラッシングや細菌などの外部からの刺激に耐えられる。抵抗がなく、可動性がある薄く柔らかい部分の歯茎は歯槽粘膜という)、上の部分が歯槽粘膜となります。しかしながら、この位置では、インプラントが粘膜を貫通すると、付着歯肉が全く無くなってしまいますので、インプラント2次手術と同時に付着歯肉を作る手術が必要となります。
22、23、
22、23、インプラント周囲に付着歯肉を獲得するために、インプラント2次手術と同時に遊離歯肉移植術(上顎から固い粘膜を採取して移植する手術)をおこないました。
24、25、26、
24、25、26、右上4天然歯にセラミッククラウンで補綴治療(ほてつちりょう・・・歯にクラウンやブリッジや義歯を入れる治療)をおこなうために、支台歯形成(クラウンを入れるために歯を削ること、海外ではpreparation-準備といわれ、クラウンを入れる準備をすることとされている)、歯肉圧排(歯肉と歯の境目をだすために、その隙間に糸を入れて一時的に歯肉を広げること)、印象採得(型を採ること)をおこないフィニッシュライン(支台歯の歯科医師が削った部分と削っていない部分の境界線、ここがクラウンと歯の境目・・・マージンとなる)が明瞭に再現された模型を作製しました。
これらの治療は歯科の日常臨床で頻繁におこなわれていますが、これらの治療を確実におこなうことは最も難しい歯科治療のひとつに数えられます。これらができなければ、治療後早期に2次カリエス(一度治療した歯が再び虫歯になること)が生じたり、クラウン周囲の歯肉が炎症を起こして紫色に腫れたり、歯肉からマージン(クラウンと歯の境目)が露出してブラックマージン(クラウンと歯肉の間に黒い線が出てしまったり、歯肉が 黒っぽく変色すること)となり、審美性を著しく損なう結果となります。
25、26、
27、28、右上4支台歯(しだいし)(歯のない部分にブリッジや入れ歯を入れる際、支えとなる歯のこと)の状態と口腔内に装着された右上567インプラントアバットメント(インプラントにネジでとめる土台)の写真です。
このアバットメントはチタン製です。金属のアバットメントを使用したら歯肉が黒ずむと思っている歯科医師がいますが、全くの勘違いです。歯肉の黒ずみの原因は、アバットメントとクラウンの適合精度が悪い場合に、その隙間にプラークが溜まった結果です。あるいは歯肉が炎症を起こして赤く腫れる事もあります。また、クラウンの形態不良の場合にもそれらのことが起こります。インプラントをおこなうための包括的歯科治療の結果、マージンが露出することなく、天然歯のようにスキャロップ(貝殻のような形をした歯肉の高低差)形態を描いた付着歯肉が獲得されています。インプラントのクラウンをアバットメントに装着する際には、インプラントは形態的な問題からセメントの取り残しが生じやすく、後に炎症の原因となり、大きな問題となります。そのような理由から当医院においては、セラミックのクラウン内部に貴金属を使用して可能な限り精度を上げ、外れないようにすることで、セメントレス(セメントを用いない)で装着しています。天然歯1本のセラミッククラウンと3本のインプラント治療をおこなう工程で、どれほど多くの治療オプションが必要かお分かりいただけたと思います。長い治療の過程で、熟練された技術と、患者様への配慮や思いやりが何よりも大切です。